CASE10J君の場合(近畿大学医学部進学)

J君との出会い。

J君が4月にMEDiCに入学した時点では、1次合格はわずか1校のみという成績。国公立私立医学部コースの中では、クラス分けテストの結果、下位クラスからのスタートとなりました。

初期の印象は、少し風変わりな生徒でした。友達と一緒にいることもあまりせずに、講師や教務スタッフと話をしたり、貼り出された復習テストの順位表を、腕を組んで長い時間眺めていたり、私の物差しでは計りかねるところが多々ありました。

また、ずいぶんと年を重ねた多浪生ではあったのですが、例えば、自分の置かれた境遇について変に焦燥したり、無気力だったり、やけっぱちになるといった感じもなく、雰囲気は温和で、のほほんとしているようで、「不思議くん」と呼ばれることもあったほどです。

勉強面について言うと、化学はそれなりに安定しているところがありましたので、それ以外の科目の強化、とりわけ「英語」と「数学」をきちんと仕上げていかないといけないと考えました。

そこで、数学は授業の中で設定されたカリキュラムをきちんとこなしてもらい、「英語」に関しては、その根幹となる英単語を「PasScan」を用いて、私の設定したノルマをこなしてもらいました。

MEDiCでの成果。

その甲斐もあってか、前期の滑り出しは比較的順調でした。復習テストも、波こそはあれど、比較的堅調に中の上あたりで安定し、私もまずはホッとしたものです。

ただ、後期になって、「数学」の成績が伸び悩み始めました。小問集合のテキストや、テストの復習をしていても、成績が上がってくる感じを持たなかったようで、本人も不安に感じていました。

個別指導の相談をしたのは、ちょうどその頃です。志望校を決めるにあたり,弱点をできるだけなくすことが合格への近道です。そのとき、彼の方から「英語」の個別指導も希望してきました。積極的な彼の姿勢に応じて、私はOKを出しました。

受験校の選択。

この年は、私立医学部の3大学の日程が重複する日があり、その日の受験校の選択は、とても重要なものでした。近畿大学医学部と他の2大学との選択でしたが、難易度を考慮して、私としては近畿大学医学部ではない大学を薦めていました。

ただ、今まで比較的従順だった彼としては珍しく、ここで強いこだわりを見せてきたのです。彼は言いました。

「近大を受けたいです」

そこは、彼にとって譲れないところのようであり、私はどうすれば良いか悩みました。

彼にとって、近畿大学医学部の合格の鍵は、やはり「英語」が握っていたので、「英語さえ得点を取ることができれば」という条件付きで、複数年の過去問に取り組んでもらいました。正直、厳しいと考えていたのですが、信じられないことですが、私が考えていた以上に、高得点を取ったのです。個別指導の成果も表れたのでしょうか。

この結果を前にして、私も覚悟を決めました。

「やるだけやっておいで」。そう言って、彼の受験校の変更を許可しました。

彼に感心したことは、医学部以外の出願も自分で考えて行ったことです。退路を断って、背水の陣で臨むことを自分から選択したのです。その覚悟の持ち方は素晴らしいと思いました。そして、彼の医学部入試が始まったのです。

J君と私が得たもの。

近畿大学医学部の試験ですが、「化学」と「数学」は満点に近い出来。これらは素晴らしかったのですが、「物理」で失敗をしました。正答を彼が欲しがっていたので、次の受験地(東京)に行く前に、私が作成した「物理の解答」を渡したのですが、「変にショックを受けてしまうとどうしよう」と心配して、正直、渡さない方が良かったのではと、ふと不安になりました。

しかし、それ以上に心配だったのは「英語」。この年も例年通りの難しさだったようで、不安でいっぱいでした。

ただ、他の私立医学部の1次合格を持っていたこともあり、「どこかには合格できるだろう」と思い、半分は安心していたのです。そして、近畿大学医学部の1次試験の合格発表。

彼の受験番号を見つけたとき、私は思わず呟きました。

「すごいな」

彼は見事にやり遂げてくれたのです。そして、2次試験も無事にクリアしての正規合格。ひたむきに頑張る中で見せてくれた、彼の1つのこだわりが、正規合格という結果で見事に結実したのです。

後に、フタを開けてみれば、他大学からも1次合格を複数もらいつつも、最終合格に至ったのは近畿大学医学部だけ。もし、彼の選択を認めなかったらどうなったかと思うと・・・。

私にとっても、医学部受験の難しさを改めて再認識することとなりました。

彼は今、大学で充実した毎日を送っているようです。
ぜひ、良医として羽ばたいてもらいたいと思います。

※合格年度は伏せています。