CASE16P君の場合(山梨大学医学部進学)

P君との出会い。

P君は、お兄さんがMEDiCに通っていたこともあって、その縁で弟だった彼も、現役での受験の失敗を経て、MEDiCに入学をしました。

お兄さんが、かなりマイペースな性格だと聞いていましたが、P君は遅刻もなく、過度にマイペースということもなく、お調子者ではありましたが、きっちりと勉強をする子でした。

物理や数学の質問を通じて、1年間頑張って勉強をすることで、P君の実力が決して低いところにとどまらないだろうとは、比較的すぐに分かりました。

合格までのレールを敷く。

国公立医学部コースは、相応の難易度の問題や宿題とも向き合う必要があり、とにかく毎日がハードな学習環境になります。また、他のコースと異なり自習の拘束を設定していないので、常に自主性も求められ、厳しさの中に身を置き、頑張り抜く覚悟が求められます。

そのような中でも、P君は知識を貪欲に吸収しながら、ひときわ輝いて見えたものです。特に、気をつけたこととしては、純朴な彼が道を誤ることのないように、頻繁に相談にのっていました。

勉強については、こちらからはあまり口を出す必要もなかったので、まずは、生活面で崩れないようにすることを第1に心がけました。

想定していなかったセンター試験。

その後も順調な成績を出し続け、入試直前までは本当に順風満帆。ただ、受験は本当に分からないものでした。

彼にとっては、重要な意味をもつセンター試験。彼は、国語で大失敗をしてしまいました。1日目が終わり、これはやばいと思ったのか、受験後は相当に気落ちしていました。

これが受験か・・・

センター試験の「国語」は、国公立医学部にとって本当に鬼門となる試験です。今までの模試の国語は順調といえただけに、センター試験の結果は、P君にとってはあまりにも残酷でした。

その後の受験校選びは、大きく悩みました。彼が受験を希望していた大学は、大阪市立大学で、人気もかなり高い大学だったのです。

ただ、P君が今まで積み上げてきた優良な成績は、先生方も悩ませました。「合格しないとは言えない。だが、危険だ」ということをP君には伝えました。しかし、彼がその大学を受けたいという意志は強く、最後はその意志を尊重することにしました。

私立入試。そして前期試験。

一時は、「センター試験の気持ちを引きずるのでは」と不安を感じていましたが、その心配は無用でした。私立の医学部入試では、軒並み正規合格を勝ち取り、彼の実力が高かったことは間違いのないものでした。

その中で迎えた国公立前期試験。P君なりに頑張ったようですが、物理がやや足を引っ張ったようで、その表情は微妙な様子でした。

「後期試験に向けて勉強を頑張る」と言い、MEDiCにも毎日通っていました。

前期試験の合格発表日。P君から電話がかかってきました。結果は・・・不合格でした。

電話ごしで声を聞くだけでも、明らかに悔し涙を流していたのが分かりました。そのときは、今後の後期試験に向けて切替をしていこうと励ますしかありませんでした。

後期試験に向けて。そして合格。

第1志望の大学が不合格だったP君としては、とにかくモチベーションを高める為に、あれこれとハッパをかけ続け、後期試験に向けた数学の添削もおこないました。前期試験に比べると、かなりの難易度でしたが、それでも彼はへこたれることなく、十分な量をやりきったと思います。

そして、後期試験の日。関西に戻ってきた後、彼は何とも言えない表情で言ったのです。

「もしかしたら、受かってるかもしれない」

相当に試験の手応えが良かった様子でした。まずは、受験を終えたP君の今までの苦労を、私達は存分にねぎらいました。

そして、後期試験の合格発表。彼から教えてもらっていた受験番号がそこにありました。合格です!

その後、彼がMEDiCに来て、地元から離れ地方の大学へ出て行くことの不安に、「自分が合格した大学に通うのが一番いいと思うよ」とアドバイスをしました。彼は、山梨大学に進学することになりました。

その年の夏。
「関西が恋しい!」と、大学生活の報告と愚痴を聞いて欲しそうな感じで、笑いながらMEDiCに来てくれた彼でしたが、部活にも励んでいるようで、楽しく学生生活を送っているようでした。

前期に受からず、後期で合格したことが、ある意味、彼を大きく成長させたのかもしれません。私達は、今でもそう思っています。

※合格年度は伏せています。