CASE09I君の場合(福岡大学医学部進学)

私が担当した生徒の中で、ある意味、彼ほど印象的な人はいません。それは、彼が典型的な数学が得意で、英語が苦手なタイプの人であり、合格者の例として特徴的であるのが1つでしょう。しかし、彼が印象的なのは、結局のところ、一年を通じて語った数々の言葉によるものです。

数学が苦手で英語が得意。

入塾当時、私が彼について最初に聞いていた内容としては、「数学・理科が得意で、英語が非常に苦手」ということでした。とりあえず、英語がどれくらいできないかということを確認しつつ、数学と理科をしっかり固めてもらうというのが最初の方針になりました。

学期が始まってみると、彼は確かに数学科講師からの評価は高く、今までかなり勉強してきたことをうかがわせました。一方、英語も確かにかなり鍛えられたのだろう、ということは文法的な力を見るとわかりましたが、語彙力の不足と、長文を我慢強く読む力というものはなく、本人もあまり必要性を感じていない様子でした。

とりあえず、単語テストと簡単な長文を訳させることで、英語に向かうための基礎を地道に固めることにしました。

1校に受かる確率を20%とすると…

「1校に受かる確率を20%とすると、5校受けて全部不合格になる確率は33%」
 彼の名言その1です。

確かに前提が正しければ、結論は合っていますが、「その前提となる20%は、どうやって導いたんだろう」と思ったことをよく覚えています。

彼は、楽天的といえば楽天的でした。試験の結果が良ければ素直に喜び、悪かったときは「次は頑張ろう」と思うけれども、何が悪かったかという反省はあまりしない。ともすれば、地道な努力をさぼりがちな傾向がありました。特に、英語はその傾向が強かったので、そのたびに「単語テスト」を繰り返し、解釈は「1文1文を丁寧に読む」ことに意識を向けさせました。

ポジティブであることと、現実的であること。

「一応受けてみようかなと思う」と言ったセンター試験の英語で2桁の点数をたたき出してもなお、「これで合格したら、むしろ僕は伝説になる」という発言をしていて、度肝を抜かれたことをよく覚えています。もっとも、一般入試が始まって、前半戦の結果が振るわなかったときは、さすがにもう駄目だと思ってきたのでしょうか。彼の顔色は、どんどん悪くなっていきました。

何より良くないと感じたのは、彼が得意としている「数学・理科」が出来ていなかったことです。数学と理科で力を発揮して、初めて合格する可能性が見いだせる状況だったので、不合格という結果が返ってきても当然ではありました。しかし、やはり不合格という結果は、決して嬉しいものではありません。お互いに辛い時間が続きました。

とりあえず私は、今までの合格者のデータと彼の成績を示し、彼が現実的に合格できる人であることを納得させるように、決して試験で諦めないように、毎日諭し続けました。慰めではなく、この後、必ずチャンスがあることは分かっていて、せっかく見えたそのチャンスを見逃してほしくなかったからです。

確率ではなく、問題を解いたかどうか。

結果的には、正規合格を果たした獨協医科大学の入試直後のコメントを、今でもはっきり覚えています。試験室案内板の前に立っていた私のところに来た彼は、私の前で力なく手を振り、「全然駄目です。英語は何を書いてあるか、さっぱりわからなかったです」と言いました。

やっぱり、きつかったかと思いかけたとき、「数学はできたし、理科もそこそこだったんですけど」の言葉。いやいや、そこが一番大事なんだからと内心思いつつ、「得意科目で力が発揮できたんだから、次に行こう。目標とする福岡大学医学部の前で、いい形が出て良かった」と、油断しないように声を掛けながらも、かなりホッとしたのを覚えています。

福岡大学医学部の受験後には、かなりいい表情で「結構できました。ようやく。」と、感無量の面持ちで話をしてくれました。手応えが微妙と思った獨協医科大学で正規合格を勝ち取り、手応えを感じた福岡大学では繰上合格であったことは、今となっては笑い話です。

結局のところ、1年を通じて、英語の成績が大幅に向上したかというとそうでもなく、彼が合格したのは、数学・理科のおかげだということは確かです。ただ、彼が合格したのは、その英語も含めて試験問題に向き合い、解答した結果で、運試しの結果ではありません。

彼のことを思い出すたびに、受験しない私達は、入試を今までの模試等の成績に主眼を置いて、合否の可能性を考えてしまいますが、試験当日に合格点を取る力を養うことが大事なんだと、改めて感じています。

※合格年度は伏せています。